この記事はAIによる翻訳を日本語話者によって検証・編集したものです。(監修:小原陽子)
ワインという視点から見る英仏間の愛憎劇。イギリスの著名な高級ワイン商ガイドも併せて参照されたい。この記事のショート・バージョンは『フィナンシャル・タイムズ』にも掲載されている。
イギリス人とフランス・ワインとの間には特別な関係が存在する。最近になってイングランドとウェールズでブドウ栽培が復活するまで、イギリスにとってフランスは最も近いワイン生産国だったからだ。海峡を越えてワインを買いつけに行くには便利な距離にあるこの国のワインには、イギリスでは非常に高い酒税を逃れられる証とも言える、フランスの象徴、マリアンヌの小さな肖像が描かれたカプシュル・コンジェ(訳注:納税証明スタンプのこと。写真上参照)が付いている。
イギリス人にとって、フランスはバケーションの地としても、退職後の住み処としても、うってつけの場所だった。ニースを訪れるイギリス人たちがそのメインストリートでもある「プロムナード・デ・ザングレ(英国人の散歩道)」を作り上げたのは2世紀以上前のことだ。また、スペインのコスタ地方へ移住し始めるずっと昔から、彼らはドルドーニュを「植民地化」していたのである。
だが、イギリスとボルドーの関係ははるかに深い。長い間、イギリス人はボルドーに対して所有者意識を抱いてきた。12世紀にアキテーヌのエレアノールがヘンリー2世と結婚した際、その「持参金」としてフランス南西部の広大な土地がイングランド王室の支配下となった歴史があるからだ。イギリスはその後3世紀にわたりボルドー統治を続け、一方でボルドー・ワインの主要輸出市場ともなった。
イギリスにはボルドーの赤ワインに対する独自の呼び方すらある。「クラレット」がそれだ。「ボルドー」ではなくこの言葉を使う人間は、「サッカー」ではなく「フットボール」という人間と同様、イギリス人であるとすぐにわかる。(最近はボルドー側がこの名前を転用し、世界(そして願わくは若い層)に訴求する軽やかで柔らかく、フルーティーな赤ワインの新たなカテゴリーとして展開するようになった。)
1766年に競売人ジェームズ・クリスティが最初のオークションを開催した際にも、かなり多くの「風味豊かなクラレット」が出品されていた。それからちょうど2世紀ののち、ロンドンを高級ワイン取引市場における世界の中心として確立するという、重要な役割を果たしたのもクリスティーズだった。その取引もまたクラレットが多くを占めていたが、ボルドーのワインが、このような取引に適したワインのフランス最大の生産地だったからだろう。すなわち、その大部分が赤ワインかつ生産量も潤沢で、熟成を前提として設計されているため、二次市場にとって理想的な商品だったのである。
1966年、クリスティーズはロンドンのオークション・ハウスとして初めてワイン部門を設立し、それを率いたのが故マイケル・ブロードベントだった。4年後にはサザビーズがそれに続いた。ブロードベントは特にイギリス各地の埃をかぶったセラーから由緒ある掘り出し物を嗅ぎ当てることを得意としており、彼がロンドンのワイン・オークションで大きな成功を収めたことで、数多の高級ワイン商(下記参照)が生まれ、世界中のコレクターを対象とした取引が行われるようになった。
これらの業者は、当時から現在に至るまで最高品質の保管施設を備えている。その中には理想的な地下の環境を誇るものもあり、暑く専用施設のない地域に住んでいるコレクターたちは特に、イギリスの保税倉庫にワインを保管することを好んだ。近年は、そのようなワイン倉庫がボルドーでも急増している(一般に地上にあって、温度と湿度が常に管理されているものだ)。ただ、1990年代に「自分のワインはポイヤックの自分のセラーよりイギリスのセラーで保管されていたものの方が常に美味しく感じられる」と断言したボルドーの第1級シャトー、ムートン・ロートシルトのフィリピーヌ・ド・ロートシルト男爵夫人の言葉は、ここに記しておきたい。
一方で、どちらもブリストルにあるエイヴリーズ(Avery’s)のロナルド・エイヴリー(Ronald Avery)やハーヴィーズ(Harvey’s)のハリー・ウォー(Harry Waugh)のようなイギリスのワイン商たちはそれよりも前から、フランスの古典的なワイン産地で定期的な買い付けを繰り返し、現在最も高価なボルドーの赤ワインとなったペトリュスをはじめ、多くのポムロールをイギリスのワイン愛好家に紹介していた。
クリスティーズのブロードベントはワインを販売するだけでなく、それらについての執筆も行った。彼はどんなに質素なワインでも、テイスティングしたすべてのワインについて小さな赤いノートに注意深く記録しており、厳選されたその内容は、最終的に3冊の比類なきワインの回想録として出版された。1980年と1991年の『グレート・ヴィンテージ・ワイン・ブック』2巻と、2002年の『ヴィンテージ・ワイン』だ。彼の最新の著書でも、掲載されているワインの3分の2以上はフランス・ワインだ。
だが今世紀に入って状況は大きく変わった。香港では2008年にワイン関税が撤廃されたことでワイン保管施設が急増、アジアでのワイン購入者数の驚異的な増加も相まって、世界のワイン取引の中心地としてこの地がロンドンに並ぶこととなった。そしてボルドーの最重要顧客としては中国とアメリカがイギリスを追い越すこととなったのである。億万長者たちの層は、アジアよりもアメリカでさらに厚くなっている(彼らの多くは明らかに「億万長者価格」のワインにご執心だ)。イギリスのワイン取引における覇権は深刻な打撃を受けているものの、上述のように熟成ボルドーの在庫に関しては現在も独占状態を維持しているため、ボルドーのワイン業者たちは頻繁にイギリス海峡を越え、せっせとワインの逆輸入に励んでいる。
一方でイギリスではワインの「民主化」が進み、その市場はもはや高級ワイン収集家だけのものではなくなった。イギリスの一般ワイン愛好家は気まぐれで冒険好き(そして値段に敏感)であることが知られており、現在の彼らの嗜好は決して古典的なフランス・ワインに限定されない。それはイギリスのスーパーマーケットの棚を見れば一目瞭然だ。2000年にはイギリスに輸入されたワインの26.1%がフランス産だったが、昨年その割合は13%未満にまで減少している。
ブルゴーニュへの関心が高まる一方で、高級ワイン部門におけるフランスの支配力は低下している。2010年、大手高級ワイン商ファー・ヴィントナーズが販売したワインの98%はフランス産だったが、2025年には75%まで低下している。彼らのライバルであるボルドー・インデックス(フランスっぽさを払しょくするためBIワインと社名変更を試みたが断念したようだ)では、2010年から2015年にかけてブルゴーニュやシャンパーニュの二次市場での売り上げおよび世界市場での需要が急拡大し、ボルドーの重要性が低下したと報告している。Liv-exプラットフォームでの取引もこれを裏付けており、2025年にはイギリスで取引されるブルゴーニュの価値はボルドーとほぼ同等となった。一方でイタリア・ワインへの関心も高まっており、2015年のLiv-exではイギリス取引の7%に過ぎなかったものが、昨年は12%に増加している。
だが、ワインは依然としてイギリス人にとって「フランスらしさ」の象徴だ。現在フランスでのワイン消費が急落していることを考えると、その強い依存は少しアンバランスと言えるかもしれない。しかし多くのイギリス人にとってフランスで過ごす休暇をイメージする際、イギリスと違って実質的に税金がかからないワインを(理想を言えばブドウ棚の木もれ日の下で)味わうという光景は、外せない要素なのだ。
一方、我々イギリス人は海峡の向こうの同業者よりもワインについてはるかに多くを知っているという認識をますます強めている。ブレグジット前、イギリスで働きたいと強く願う若いフランス人ソムリエたちの流入が多く見られた。彼らはイギリスならワインの選択肢が無限に存在すると知っていたからだ。また、ロンドンを拠点とすれば、故郷よりもはるかに多くのテイスティングの機会を活用できる。例えばロンドンでは、まったく方向性が異なり、しかも極めて包括的なプロ向けのテイスティングが4件同時に開催される日もあるが、パリではそのようなチャンスはめったにない。
フランスの典型的なスパークリング・ワイン、シャンパーニュの発展において、重要な役割を果たしたのがイギリス人であることは、フランス人にとって最も触れてほしくない話題かもしれない。フランスの薪式の炉よりもはるかに高温となる石炭炉を導入し、スパークリング・ワインの圧力に耐えられる強固なボトルの製造を実現したのはイギリス人だ。さらに1662年、瓶詰前にワインに砂糖を加えることで確実に二次発酵を引き起こし、発生した二酸化炭素をその強固なボトルに封じ込めるという手法を最初に考え出したのも、イギリスの科学者クリストファー・メレットである。当時、シャンパーニュで生産されるワインの大部分はスティル・ワインで、たまに見かける発泡性のワインは欠陥品と見なされていた。
だがきっとフランス人は、最初に成功を収めたイギリスのスパークリング・ワインはナイティンバーであり、それを造ったのはフランス人ではないか、と反論するだろう。
高級ワイン商のワイン
以下のワイン商はいずれも、主に古典的な高級ワインを販売しており、その大部分はフランスのワインだ。特筆に値する別の専門分野があるワイン商はそれらも併せて紹介している。
※訳注:以下の固有名詞についてはAIによるもので、日本市場におけるカタカナ表記との一貫性は確認しておりません。
ファー・ヴィントナーズ
マコネ地区のヴェルジェ(Verget)
ボルドーのシャトー・レ・クリュゼル(Ch Les Cruzelles)とシャトー・ラ・シュナード(Ch La Chenade)
ニュージーランドのクメウ・リヴァー・シャルドネ(Kumeu River Chardonnays)
ボルドー・インデックス
オレゴンのローズ・アンド・アロー(Rose & Arrow)
オーストラリア、ヴィクトリア州のバス・フィリップ(Bass Phillip)
ベリー・ブラザーズ・アンド・ラッド
シャンパーニュのルクレール・ブリアン(Leclerc Briant)
オーストリアのプラーガー(Prager)
南アフリカのサディー・ファミリー(Sadie Family)
オレゴンのリングア・フランカ(Lingua Franca)
カリフォルニアのレイミー(Ramey)、オー・ボン・クリマ(Au Bon Climat)、ラシーヌ(Racines)、テンスリー(Tensley)
ジャステリーニ・アンド・ブルックス
ドイツとピエモンテの幅広い生産者
スペイン北西部のラウル・ペレス(Raúl Pérez)
南アフリカのデイビッド・アンド・ナディア(David & Nadia)とリスモア・エステート(Lismore Estate)
コーニー・アンド・バロー
ローヌのタルデュー・ローラン(Tardieu-Laurent)
オレゴンの00ワインズ(00 Wines)
チリのイダウエ・エステート(Idahue Estate)
アルゼンチンのミケリーニ・イ・ムファット(Michelini i Mufatto)
これらのワイン商が取り扱うワインのテイスティング・ノート、スコア、おすすめの飲み頃についてはテイスティング・ノート・データベースを参照のこと。彼らは海外にも販路を持っている。
基本の復習
英国の主要な高級ワイン商ガイド |
ボルドー・インデックスは金融業界と最も密接な関係を持つワイン商だろう。元シティのトレーダーであるゲイリー・ブーム(Gary Boom)が1997年に設立し、2011年からはシティの重鎮マイケル・スペンサー(Michael Spencer)が会長を務めている。彼らはシャンパーニュの二次市場を開拓し、ボランジェからの投資を呼び込んだ。独自のオンライン取引プラットフォーム「ライブトレード(LiveTrade)」を持ち、ウイスキー事業への多角化も行った。ファー・ヴィントナーズは彼らより約20年早く設立され、当初は控えめだったものの今は世界の多くの地域で広く尊敬を集める存在へと成長した。(今では多くのワイン商が支店をもつ)香港に進出した最初のワイン商でもあり、ボルドーのプリムールの価格戦略に対しては強い批判を続けてきた。パトリック・ウィルキンソン(Patrick Wilkinson)と元クリスティーズのポール・ボウカー(Paul Bowker)が経営するロンドンのウィルキンソン・ヴィントナーズは、熟成ボルドー、ブルゴーニュ、ヴィンテージ・ポートを専門としている。
そしてもちろん、大手3社を忘れてはならない。栄誉ある王室御用達の伝統的なロンドンのワイン商であり、高級ワインの二次市場としての機能も備えたベリー・ブラザーズ・アンド・ラッドだ。彼らは最も古く最も多角的で、セント・ジェームズにある迷路のような店舗に加え、高級ワイン専門店、活発なイベント会社、ワイン講座までを運営している。ベイジングストークには大規模な保管施設があり、イギリスのハンブルドン・ヴィンヤードにも出資している。ワシントンDCに店舗を構えるほか、(他の2社同様)アジアにも複数の拠点を持つ。同社の(訳注:二次市場向け)取引プラットフォームはBBXだ。一方、セント・ジェームズにあるライバルで、ディアジオ傘下のジャステリーニ・アンド・ブルックスは、仲介業務を活発に運営するため、自社在庫を活用している。ロンドン塔の東に拠点を置くコーニー・アンド・バローは、「神聖な」ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティのイギリス独占輸入業者で、ペトリュスの割当も潤沢だ。同社には顧客が保有するワインの売買仲介に特化した部門もある。
サフォークの田園地帯に拠点を置く異色の存在はセックフォードで、独自の保税倉庫を所有する。独自の保税倉庫があるのは他にベリー・ブラザーズとレイ・アンド・ウィーラーの関連会社ぐらいだ。また、ファイン・アンド・レア、ゲードハウス・ワデスドン、ターヴィル・ヴァレーも高級ワイン取引を手掛けている。 |